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ざっきの「初めに言葉があった」

〜日々想うことをツラツラと〜

   
カテゴリー「思うところ」の記事一覧

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心に太陽をもて

心に太陽をもて
友だちと言葉をもて
唇に歌をもて…



タイトルを見て、あっ、山本有三だね、と思った人が多いと思う。
が、どうやら元はドイツのある詩人の詩の中の三行だそうだ。

私は名言集とかによく載っている山本有三の「心に…」の言葉よりも先に、ある本でこの三行の言葉だけは知っていた。
一つだけでもいい言葉だが、三つあるとなおわかりやすい。
いわゆる幸福論だ。


いま、この言葉を叫びたい。
今一度、峠を越えるために、疲れに震える膝をおろおろさせないために。
正直、休みたい。
休みたいが、今のままではだめだと、誰かが警告している。
お前はだれだ?
なんのためだ?

…難しい。

花はなぜ咲くのか?
という問いに等しい。
しかし賢い人にはわかっているはずだ。
その証明として、詩人の三行が世に現れ、分身が異国の本に表れ、
ついにはシナプスのドラマを演出することによって、
壇上の多くの心が洗われた。

休むことを覚えた膝は日に日に弱り、
やがては歩こうとすれども疲れた疲れたと訴える。
そうか膝が無理なんだからと、行こうとする意志は安心して空を見あげる。
そうだ、そうだ、そうだ、そうだな、そうだ、そう……いやいや待て、
騙されるな、腐った意志は煮ても焼いても喰えぬわ。
そうあるならば、
歌は流れるかい?
コトバは噴きでるかい?
そいつに聞いてみよう。
光は我がうちにあるのかい?

それはおどりでて、それはそそぐ。
わが心に燈がともる。

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芸術は自然を模倣する

とても切ない、この切なさは、言葉にできない。
なぜか元気が出てくる、その訳も、言葉にできない。
それら全てを超えた感情が、
「4WD」の文字を見た瞬間に突き抜けた。

すごい人がいっぱいいるね★世の中にはさ


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ユダヤの眼鏡の話

老齢のラビ、イチャクは、タルムードの勉強をしているところを、客に邪魔された。また本の前に戻って、眼鏡をさがしたが、いつものように本の間にはさんでない。そこで、彼は考えた。


毎日、本を読むときには、眼鏡をかける、やめると、眼鏡を本の間にはさむ。毎日そうするのだから、今日もそうしたにちがいない。そうしたとすれば、眼鏡は本の間になければならない。しかし、眼鏡はそこにはない。眼鏡がそこにないということは、どういうことか。そこにないということは、なくなったということだ。眼鏡がなくなったというのはどういうことだ。眼鏡がひとりでどこかに行くわけがない。とすれば、誰かが取ったにちがいない。眼鏡を取ったのは誰だろう。眼鏡を必要とするものだ。だが、眼鏡を必要とするものは、自分のをもってるはずだから、私のなぞいらない。眼鏡を必要としないものは、もちろん取るはずがない。とすると、――誰も取らなかったということになる。誰も取らなかったとすれば、眼鏡はここになければならない、だが、ここにないということは、ちゃんと見て分かっている。見て分かっているというのは――どういうことだ。眼鏡をかけなければ、私は何も見えない。だから、眼鏡がないということが見て分かっているということは――眼鏡をかけているということでなければならない。


そこで、彼は鼻に手をやった――

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ユタカ

ごぶさたしてます。
ざっきです。

気がついたら2週間近くブログをまったく更新していませんでした。
別に忙しくて書く暇がなかったという訳ではありません。
別に記事にする様なネタがなかったという訳でもありません。

ただ、書く気が起こらなかったというだけです(笑)

やる気がないことをやるのはとてもしんどいことなので、
やる気が起こってからやろうということなのでした。

で、そろそろやる気が戻ってきたようなので、
こんな感じで書いてみたりしているところです。



話は変わりますが、
私は最近、海外を放浪している人たちのHPやブログを見るのが
半ば日課になっています。
やはりキッカケは私自身のブラジル旅行体験で、
たった3ヶ月の経験でずいぶんと物事の見方が変わったからです。
それで、他の同じように海外を見てまわっている他の人たちはどうなんだろう?と気になるのです。

その中に1つ、特に目をつけているHPがあります。
そのHPの持ち主は現在海外放浪5年目を迎えており(どうやら来年あたりに帰国する予定だそうですが)、
他の人と違うのが「飛行機を使わない」で世界をまわろうとしているのです。
だから大陸間を移動する時は船を使うのです。
もちろん貨物船です。
あっ、ちなみに費用は全て貯金から出しているそうです。
フトコロ的にも来年あたりが限界だとかで、私的には少し残念です。

最近、その人がこの5年の旅について、
そして5年の間に見てまわった世界について、
自分なりの感想を書いている記事を読みました。
その内容が私には衝撃的でした。
私がブラジルでお世話になったサムライおじいちゃんが言っていたことと、よく似ているのです。
そして何より、私も実際にブラジルのいろいろな所を見て同じように思いました。

その旅人は、
「僕の目に映った世界は、矛盾と不満と不平等にあふれていた」
と書いていました。
今まで見てきた国がほとんど後進国であるがために、
それらの言葉が出てきたのだと思います。
しかしこの世界のほとんどは後進国です。
先進国はたったの7つしかありません。
ブラジルは準先進国だと言われていますが(それについて疑問の声もあるようですが…)、それでも私の目には充分、理不尽に映りました。


ひと言で言えば、がっつり共感してしまったのです(笑)
その人の記事に「競争原理」というキーワードが出てきますが、
ブラジルを見ていると、本当に「働く」ということについて、
日本の今の在り方に疑問を感じてしまいます。

しかし、ふつーーーーに考えれば、
他の国と比較しなくてもわかることなのです。
何故この国は1年に3万人もの人が命を絶つのか。
なぜ幼い子供たちが自分の親に殺されるのか。
危険信号は既に出ているのです。
ただ気がつかないだけです。
比較をすると、それに気付きやすいというだけなのです。



少し話がそれますが、私は最近、親父の職場で働いているせいか、
よく親父から仕事の愚痴を聞きます。
その多くが日本のシステムの矛盾に対する憤りです。
やはり日本は素晴らしい国ではあるけれども、
よくよく見ると矛盾や不平等が平然と罷り通っているのが現状のようで、
一見は民主主義に見える国という感じみたいです。
それが当事者でなければあまり見えないだけのことで、
でもそれは確かに存在するのです。



かわいい子には旅をさせろと昔から言います。
それは、旅がかわいい子を正しい大人に育てるからです。
私は、今回その人の記事を読み、
私の中に密かに揺らいでいた気持ちに火が灯りました。
それは、いつか世界中の国々を見てまわりたいという欲求です。
もちろん先進国なんて行きませんよ。
そんな所に見るものはありません。
しかも、強行日程でちゃきちゃきと見てまわるのではありません。
ゆっくり、じっくり、のんびりと、そこに住むが如くに見てまわるのです。
そうでなければ何の意味もありません。
ブラジル滞在も、3ヶ月間という期間であったが故に、
普通の観光では見えない所を見ることができたのです。
サムライおじいちゃんの存在とその他多くの人たちの存在も大きいですが、
しかしそれ以上に有効であったと思うのが「期間」です。
体が感じる「期間」ではありません。
心が感じる「期間」です。
1年滞在しても毎日あくせくと仕事をして過ごした1年では意味がないのです。
いろいろな世界を見て、本当の世界を見て、本当の人間の姿を見て、
本当の事に気付きたいのです。
本当に大事なのは何だろうって。



昔、大昔、私はある人に言われた言葉を今でも覚えています。

 「遅ければ遅うて良し」

と、その人はとびきりの笑顔で私に言いました。
そして世界の実際を見た旅人は、
その言葉をこう締めくくっていました。

 「急ぐことに意味などありはしない。振り返ればすべて、一瞬の記憶でしかないのだから」


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昼飯前の考察

よく「心を無にする」ということが言われる。
瞑想をする時とか、禅のアプローチをする時とか。
確かミスター・ポポも同じようなことを言っていた気がする。


「何も考えない」状態だそうだ。
しかしそんなことが本当にできるのだろうか?
昔、密かに練習したりしてみた時期があったが、
全くできなかった。


そんなこともすっかり忘れていたのに、
今日、データの変換作業が終わるまでPCが使えないので、
時間つぶしにこっそりブラブラと外を歩いていたら、
ふと、あることが頭に浮かんだ。

 「意識が偏っていない状態なんじゃないの?」

自分でもビックリ。
例の心を無にするということについて、
実はこういうことなんじゃないの?って考えが何故か不意に浮かんできたのだ。
それも、ただ縁石の隙間から生えている草とかを歩きながら眺めていた時に。


それはつまりこうだ。


何かに意識が少しでも向いた瞬間、
そちらの対極にある意識が多少なりとも薄くなってしまう。
すると、本来そこにあるはずの物が、意識が薄くなったことによって
気がつかなくなってしまう。見えなくなる。
そこで、意識を特定の方向へ集中せずに全方向にムラなく解放すると、
今まで見えなかった微かな物が感じられるようになる。
しかし、それは見えない物が見えるようになるのではない。
ちゃんとそこに在るのに見えていなかった物なんだ。
その結果、この世界や物事の本来の姿が見えてくるんじゃなかろうか。
修行とかでよく「心を無にする」と言われるのは、
そのためなんじゃなかろうか。
そういや、昔、教授がコヒーレントなのかインコヒーレントなのかが重要なんだって言ってたな…自然はだいたいインコヒーレントだって。


なんてことに思考を巡らせ、1人でふむふむと頷きながら草木を眺めて構内を歩きまわる私を見て、

 「あっ、変な人みつけたっ。大学ってホントこんなんばっかやなぁ。うっとおしいわー」

と、意識を向けた人はおそらく5人はいたに違いない。

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