この日は、大阪は少し暖かかったです。
じゃなくて、
「第1肋骨と肩甲骨の検査と矯正」
と、
「骨盤(特に腸骨)のPI(後方下方)変位の検査と伏臥位による矯正」
を勉強しました。
相も変わらず学校でグリグリやられました(T人T)
てことで、帰る時には腰がズキズキしていて、
次の日には腰は痛くなくなったけど、
今度は肩甲骨の内側ぐらいの背中が痛くなってきた…
卒業する頃には体ボロボロになってるねこれは★
みなさん、カイロを勉強するなら回復力のある若いうちにしときましょう!
余談ですが、この日学校を終えてビルから出た時、突然、
「○○ビルはここですか?」
と、1人の女性が私に聞いてきました。
その女性は長くつやのある黒髪でとても綺麗な人で、
「線」みたいな人でした。
私は全くわからなかったので、
「すんません、僕ここの人間じゃないんでわかりません」
と、あっさりと流してしまいました。
たぶんこういうシチュエーションの時、
ジェームズ・ボンドならばあたかも詳しく知っているかのように、
あるいはエスプリの効いたイカした態度で振る舞い、
そこから新たな世界を広げていくのだろう。
こういう事は常日頃から心がけて準備をしておかねば、
いざというとっさの時にはうまく対応できないものだ。
そういう努力をするのを、私は軟派なことだと昔は思っていました。
しかし、それは違うのではないか?と、この年になって思うのです。
軟派とか硬派とかじゃなく、単純に「準備をしておく」ということの大切さを
あらゆる局面で痛感するようになったのです。
それはきっと、私の能力が衰えてきているということなのでしょう。
若い頃はたいした努力をせずとも、人並みにこなす事ができるのです。
これを「才能」といいます。
しかし、才能というものは磨かれなければ光ることはありません。
よって大人になるにつれて枯れてくるのです。
これを阻止できるのが、「努力すること」です。
努力して磨くことによって、「才能」は「能力」として開花していくのだと思います。
というより、私はそれを身を以て感じています。
だから、まだ才能の芽が枯れきって消えてしまわないうちに、
私の中に蒔かれているあらゆる可能性について、
許される限り磨きたいと感じるようになったのです。
しかし、中には大人になりきってから才能を発揮する人たちもいます。
それはその人の「経験」がうまいこと「才能」の芽の上に積み重なった結果だと思います。
ということは、「経験」とは「努力して才能を磨く」ことに匹敵する代物だということです。
私が良い悪い関係なく、
できるだけ多くの経験をしたいと思うようになったのも、
こういう理由からです。
それらが、今の私を動かしている原動力の一部なのです★
まだ他にもあるんですけどね。
って脱線も甚だしい余談になっちゃいました(笑)
つーことで、明日も頑張るぞ〜ヾ(@⌒▽⌒@)ノ
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