よく「心を無にする」ということが言われる。
瞑想をする時とか、禅のアプローチをする時とか。
確かミスター・ポポも同じようなことを言っていた気がする。
「何も考えない」状態だそうだ。
しかしそんなことが本当にできるのだろうか?
昔、密かに練習したりしてみた時期があったが、
全くできなかった。
そんなこともすっかり忘れていたのに、
今日、データの変換作業が終わるまでPCが使えないので、
時間つぶしにこっそりブラブラと外を歩いていたら、
ふと、あることが頭に浮かんだ。
「意識が偏っていない状態なんじゃないの?」
自分でもビックリ。
例の心を無にするということについて、
実はこういうことなんじゃないの?って考えが何故か不意に浮かんできたのだ。
それも、ただ縁石の隙間から生えている草とかを歩きながら眺めていた時に。
それはつまりこうだ。
何かに意識が少しでも向いた瞬間、
そちらの対極にある意識が多少なりとも薄くなってしまう。
すると、本来そこにあるはずの物が、意識が薄くなったことによって
気がつかなくなってしまう。見えなくなる。
そこで、意識を特定の方向へ集中せずに全方向にムラなく解放すると、
今まで見えなかった微かな物が感じられるようになる。
しかし、それは見えない物が見えるようになるのではない。
ちゃんとそこに在るのに見えていなかった物なんだ。
その結果、この世界や物事の本来の姿が見えてくるんじゃなかろうか。
修行とかでよく「心を無にする」と言われるのは、
そのためなんじゃなかろうか。
そういや、昔、教授がコヒーレントなのかインコヒーレントなのかが重要なんだって言ってたな…自然はだいたいインコヒーレントだって。
なんてことに思考を巡らせ、1人でふむふむと頷きながら草木を眺めて構内を歩きまわる私を見て、
「あっ、変な人みつけたっ。大学ってホントこんなんばっかやなぁ。うっとおしいわー」
と、意識を向けた人はおそらく5人はいたに違いない。
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COMMENT
無題
確かにポポも言っておりましたね。
コヒーレントて何。
Re:無題
コヒーレントは波動に関する用語でごぜぃ。
向きと位相が揃っていることじゃ。
ちなみにジョジョが使う波紋とは関係ないよ。