はっきり言おう。
ねみーんだ馬鹿やろう。
おっとっと、ネジが飛んでしまいました失敬(笑)
ちなみに眠いのはいつものことです。
母親はいつも私に言います。
「あんたは睡眠不足に強いねぇ」
兄弟の中であんたが1番睡眠が短くても活動できるねと続けます。
それを聞きながら私はひっそりと思います。
「しんどくない訳ないじゃん」
睡眠が足りなければ眠くてしんどいのは当たり前です。
でも動かなきゃいけない状況があったりするから、
努めてテンションを高めて脳を興奮させて体にむち打っているだけです。
人は自分で限界を作ってしまっているんですね。
ここが限界だと思ってしまうと、
本当にそれを超えることはできなくなってしまいます。
私の睡眠の場合は、
学生時代の経験から自分は少なくともどのくらいまでは不眠状態で活動できるかを知っているので、
それ以下であれば 100% 問題ないという自信があるからこそ日常的に行っているだけです。
例えそれ以上であっても、やればいけるかもしれません。
いけるかいけないかは、やってみなければわかりません。
ここで大事なのは、
少なくともどこまでできるか、いけるかを経験しているか?
ということ。
これを知らずして自分はここが限界だと言う人は、
自分の能力を自ら殺してしまっていることになります。
そして、そのこと(自分で能力の芽を摘んでいること)には、
実は無意識下では気付いているのです。
だからその抑圧された人間の本能からくる欲求が、
いつかどこかで姿を現してくる。
抑え込んだ物を解放して自分をさらなる高みへと成長させるために、
人は無意識に行動を起こす。
最近はずっと病気というものについて考えています。
病とはなんなんでしょうか?
インフルエンザはインフルエンザウイルスに依るもの。
本当にそうなんでしょうか?
ウイルスに接触した人間は全てが発症するのでしょうか?
たばこを吸う人間は全てが肺がんになるのでしょうか?
実際は違います。
それはなぜでしょうか?
原因が究明されていない病気、治療法が確立されていない病気、
いわゆる難病や奇病と呼ばれているものは、
いったいどういう理由でその人を苦しめるのでしょうか?
不治の病だと誰が決めたのでしょうか?
宗教とは何か?
信仰と何が違うのか?
何が人を縛るのでしょうか?
六法全書と聖書、どちらを破ることを人は恐れるのでしょうか?
そもそもなぜ戒めがあるのでしょうか?
なぜやってはいけないと人々に言うのでしょうか?
その理由を考えたことのある信者は何人いるのでしょうか?
行うことが重要なのではなく、
気付くことが重要なのだと考える人はどのくらいいるのでしょうか?
人に頼る人の幸福感はいかほどなのでしょうか?
とりとめのないテーマ。
私には全てが繋がっているテーマなのです。
そんなことを考えながら、明日も仕事、頑張ります。
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