この日は実家の墓参りに行ってきました。
実家には昼頃に着いてはいたけれど、
親父の妹家族が来るのを待って、一緒に参りに行きました。
住宅犇めく路地を曲がり、すぐにお寺が見えてきます。
そこに、私のご先祖様が眠っている訳です。
花を供え、ロウソクを灯し、線香を焚き、
暑い中お念仏を唱えてもらいました。
私の家は分家です。
まずは私のおじいちゃんが眠る墓に手を合わせ、
次に本家の墓に手を合わせました。
と、ここまではいつもと同じです。
何一つ変わらないことの繰り返しです。
しかし、今回は1つだけ、違うことがありました。
少し離れた場所にある少しくたびれたような雰囲気の墓の前まで行くと、
私の親父は供え物をし、手を合わせたのです。
私はちょっと意表をつかれたので聞きました。
「これは誰の墓なのか?」
「これは父さんのいとこの墓なんだ。」
親父は黙々と作業をしながら話し出しました。
今まではちゃんと参ってくれる人がいたのだけれども、
その方も亡くなってしまったそうで、
それ以来、もうこの墓に参りにくる人がいなくなってしまったのだと。
だから可哀相だから自分が参るのだと。
親父とは直接の血の繋がりはないそうなんですが。
本当にいたたまれない話です。
実際には霊界も霊魂も存在しないのだとすれば、
人は死んだ後は全くの無になる訳ですから、
そうなると墓参りに意味なんてなく、どうでもいい事なのでしょうが、
それでもやっぱり可哀相だと感じるということは、
本能的にそんな現状をどこかで見ているのかもと思うからでしょう。
そしてそれを悲しんでいる、と。
私はそれ以上は何も聞かず、
親父のやや後ろに立ち、
その墓に手を合わせました。
この日はとても暑い日で、
セミの声と日照りとが一体となって、
ジリジリとそこにある物全てを少しずつ少しずつ、
どこかへ削り取っていくような日でした。
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