日本人移民793人を乗せた『笠戸丸』が神戸を出港し、
アフリカ経由で52日かけてブラジルのサントス港に着いたのは
1908年6月18日のこと。
100年前の今日のことだ。
って、新聞の記事まるパクリの出だしだけど、
今日は日本人移民が初めてブラジルの土を踏んだ日から
ちょうど100年目にあたる歴史的な日なのだ(笑)
首都ブラジリアでは今日、記念式典があるそうです。
時差は12時間だから、おそらくこの記事を書いている今頃にはもう始まっているんだろう。
福井からも訪問団が向かうそうで、サンパウロでの式典に出席し、
福井県人会や福井村も訪れるそうです。
実はこの日はブラジルでは『移民の日』として制定されているのです。
去年ブラジルを訪れた時、お世話になったおじいちゃんが
「来年は移民100周年にあたるんだ」
と言っていたのが懐かしく思い出されます。
そのおじいちゃんたちもきっと今頃、
記念行事に出席しているに違いありません。
といってもサンパウロまで出て行ってはいないだろうな。
だってサンパウロから車で片道8時間もかかる田舎町に住んでるんだから(笑)
そんなだから大根が3日に1回ぐらいしかスーパーに並ばないんです(爆)
大根は私たち日系人にとって、
何日かに1回のご馳走でした★いやマジで。
コシヒカリなんて「そういう最上級のうまい米を日本では食ってるらしいよ」
って感じで、存在は知ってても食べたことはない人たちばかりです。
そして土日にはどの店も閉まって営業はしないので、
ここはゴーストタウンか?と本気で思ってしまうような町でした。
私が滞在していたグアララペスという町はそういう田舎町ですが、
でも日本人は意外とたくさんいたようで、「会館」なるものもありました。
そこでは週に一回ぐらいのペースでカラオケ大会が開かれており、
日本の古い古い歌を熱唱する声が漏れてきてなんとも不思議な気分になったのを覚えています。
きっとそこで何らかの記念行事が催されているんだと思います。
そう思うと、なんだか人ごとのようには感じられず、
そしてなんだか仲間外れにされたような、そんな妙な淋しさを感じるのです。
もはや、あの田舎町は私のもう一つの故郷になってしまっているのです。
あのおじいちゃんが、私にそう思わせるだけの人格の持ち主だったからだと思いますが、
とにかく、またいつかあの町へもう一度行って、あのおじいちゃんにもう一度会って、
是非ともお世話になった恩返しをしたいなぁ、うんうん、したいなぁ、
と、そう思っているんです。
(行くだけでもかなり大変ですけど(笑))
今日は、そういう眠っていた想いが沸々と動いた日でした★
きっと人が動く原動力というのは、そういうものなんだと思います。
だから私は当分のあいだは道を見失うことはないでしょう(笑)
ところで、私たち日本にいる日本人は、もっと日本人移民のことを知るべきだと思います。
彼らも同じ日本人なのに、なぜか本国からは異端視されるという傾向があります。
特に昔の日本政府の扱いが酷かったようで、まるで外国人扱いだったようです。
確かにブラジルに長く住み着いた日本人移民はその考え方や行動面が少し変わってきて、
日本の日本人からみると理解できないことがあります。
これを『ブラジルボケ』と呼んで切り捨てたのです。
つまり日本の日本人から彼らを見るとピントが合わないでボケて見えるというのです。
私も実際ブラジルにいた時に「???」という場面には出くわしました。
理解できず、対立することもあります。
でも、同じ日本人には違いありません。
問題はお互いにそのことについて理解していないからであり、
それはつまり「知らない」からなんです。
あまりにも情報がない。
交流がない。
それが問題なんだと思います。
日本人というのは種を純粋に守ろうとする気持ちが強い民族です。
それが故に、移住という道を選んだ日本人を「亜日本人」的に見る傾向がある、
そう思えてならないのです。
そのせいで、彼らは心に深い悲しみと計り知れない懐郷の念を抱いているんです。
ブラジルの今の発展があるのは彼らの尋常ならぬ努力があったからだと言っても過言ではなく、
本来ならば尊敬に値するはずの立場なんですから。
私たちはもっと交流を図り、積極的に同胞のことを知るべきです。
えーと、うむ、今ブラジルの話を始めると止まらなくなりそうだから、
ここらへんでもうやーめよ(笑)
最後まで読んでくれたあなたは偉い!!(笑)
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