本日、お隣の地区の公民館祭りにて太鼓を無事演奏し終え、
今年の太鼓活動はとどこおりなく終了いたしましたm(_ _)m
なんかいつもテープカットをして祭りが始まるんですが、
そのテープにハサミが入るタイミングで太鼓を叩き始めてくれっていう
変な注文をいつもしてくるところです( ̄~ ̄;)
その一発目はいつも私が打たなくちゃいけないんで、
「めんどくせー」って思いながらいつもやってます(笑)
おっと『いつも』って何回使ったこの文で?
あとは打ち上げと忘年会だけ。
会費とか一銭も払ってないのにタダで飯食いまくります!
まいどまいど、いいのかな?(⌒o⌒;A
太鼓も破いちゃったのに(爆)
話は変わって、
あなたは心に残っている師匠の言葉というのはありますか?
私は今まで生きてきた中で、
様々なジャンルの師匠と出会いました。
学問、思想、仕事、趣味、
他にもいろいろあると思いますが、
それぞれの土俵で師匠と呼べる人に教えを受けてきました。
誰にでも、そういう教えを授けてくれた人というのがいると思います。
私はその全ての師匠たちを尊敬しています。
そして、師匠に言われた言葉が心にずっと残っています。
それはそのジャンルの中でのみ最大の効力を発揮するものばかりではなく、
他のジャンル、全てのジャンルに共通して威力のあるものであったりもします。
例えば、いま私が師事している人の言葉として、
「思考を停止させるな」
というのが心に残っています。
矛盾を追及しなさい、と続きます。
これはかなり大事なことだと最近は特に思うようになりました。
主に人間の身体に起こる症状の原因についての議論で出てきた言葉で、
原因だと思っているものは実は誘因に過ぎないことが多いというものです。
現代医学の盲点がここにあります。
その話は別でするとして、
同じようなお話がある本で出ていたので「おもしろい」と思ったんです。
『磔の刑というのは、
死ぬまでにひどい苦痛を味わう忌むべき刑だと言われている。
なのに、現代では胸につけたり壁にかけたりして、
十字架が拷問の道具だということを人々は忘れている。
クリスマスに関しても、
元々はキリスト教が異教と呼んでいたミトラ教の冬至の祭りで、
12月25日に太陽の誕生を祝うものだったのに、
現代の人々は誰もがキリストがその日に生まれたと信じきっている』
どうでしょうか?
確かにその通りです。
いつから変わってしまったのでしょうか?
いや、重要なのはいつから変わったかではなくて、
いま私たちが当たり前のように知っていることややっていることが、
実は人為的に作られたもの、人為的に作られた歴史であるのではないか?
という疑問です。
今ある概念も、例えば幸せというものの概念も、
歴史の中である時点で作られたものになっていたりしないか?
つまり、本来のものと違うものになっていることに気付いていないのではないか?
という疑念が湧くという訳です。
つまりは、
「思考を停止させるな」
という警告につながるという感じです。
警告というのは大袈裟かもしれんですけどね(⌒o⌒;A
どうですか?
あなたは、この社会、この生活、この習慣に、
矛盾を感じることはありませんか?
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COMMENT
深い・・・
なかなか深いお話ありがとうございます♪
「思考を停止させるな」常に頭の片隅において
おきます!!
Re:深い・・・
いや~学びが多い週末でしたね
こちらこそお世話になりました
深いのは師匠でやんす
やっぱ師匠は偉大ッスね(笑)